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台北市内の夜景
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「八田与一さんと奥さんの外代樹夫人のこと、ご存知ですか」

ご存知のように、台湾は1897年から1945年までの半世紀近いの時間が日本の国土でした。
その間に、当時の帝国政府は、この新しい国土に様々な建設を行いました。その中で、一番、影響が大きかったのが、台湾最大の農業生産地の嘉南平野14万5000ヘクタールの給水問題を解決するための嘉南大▼(▼は土ヘンに川)(▼とは人工の濯漑用の溝)の工事だったのではないでしょうか?

嘉南大平野は台湾の西南に位置し東西71キロ、南北86キロ、台湾の全耕地面積の41.5%強を占める大平野です。
嘉南大▼(▼は土ヘンに川)の工事が完成する前は、水が供給できず、ほとんど荒地のままで、農業があまりできなく、当然、そこの住民も貧乏でした。
当時台湾総督府の土木局技手の八田与一さんが大正8年2月から総員80余名のスタッフを率いてこの大荒野の隅々まで不眠不休で調査し、同年10月土木局に土木局も驚いた程の立派な建設計画書を提出しました。
この計画書により、131キロの曾文溪と台湾一の長川186キロの濁水溪から人工の水路をつくって引水し、嘉南14万5000ヘクタールの荒れた畑の給水問題を解決したのです。
この提案の工事費は、当時の台湾総督府の年間予算、約5000万円より多い5300万円でした。総督府はもちろん難色を示しましたが、八田与一さんと地元の各庁長の熱心な運動、八田氏の熱意、当時の八代目の総督である田健次郎の理解ある支持とで、遂にこの一大計画は10ヶ年の継続事業として認められました。

大正9年9月1日に、八田与一さんは烏山頭工務所長ならびに、監督及工務課長就任して、10ヶ年の歳月を経た昭和5年4月29日の天皇誕生日に当時、東亜最大の烏山頭ダムと嘉南大▼(▼は土ヘンに川)の建設が完成しました。
この事業の規模は、長野県木曾郡王滝村、三岳村に牧尾ダムを建設し、木曽川の水を岐阜県から尾張東部の平野及びこれに続く知多半島一帯に、農業用水、上水、工業用水を供給している愛知用水事業(昭和36年完成)の10倍にもなります。

八田与一さんはその後太平洋戦争の最中の1942年、陸軍に徴用されてフィリピンの農業施設建設するために、フィリピンへ向かう途中、乗っていた船がアメリカの潜水艦に撃沈されて、偉大の建設と現地の人々の深い思いを残してこの世から去りました。
奥さんの外代樹夫人も終戦の年の9月1日に亡くなりました…
この日は鳥山頭ダム工事がスタートした25周年日です。この日、八田氏の次男が復員して帰って来ました。その喜びを家族一同と共にした翌朝、外代樹夫人は「みあとしたいてわれもゆくなり云々」の遺書を残して与一氏の銅像わきの烏山頭ダムに和服姿に薄化粧されて身を投ぜられました。

台湾のあるテレビ局が八田与一さんのことを連続ドラマにすることが決まりましたが、奥さんの外代樹夫人の記録をあまり残してないので、脚本の作成者である、私の友人が困っています。もし読者の皆さんが資料お持ちであれば、教えていただきませんでしょうか?

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