忍者ブログ
台湾をはじめ、中国、韓国から現地の旬の情報や身近な話題をお届けします。
台北市内の夜景
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『五分仔火車の旅』

五分仔火車というのはなんでしょうか。

まず火車(ヘ.チャ)は台湾語の汽車のことです。汽車と言うのは蒸気で駆動する車の意味で、火車は火で駆動する車の意味です。
五分仔(ゴ.フン.ア)は台湾語で、約半分ぐらい小さくなっているという意味です。合わせると五分仔火車(ゴ.フン.ア.ヘ.チャ)は、普通の鉄道の半分ぐらい小さい汽車のことです。
軌道の距離は標準の1435mmと比べて、762mmの狭い物ですので、五分仔火車と名付けています。

台湾の五分仔火車の鉄道は、ほとんど終戦前の台湾の製糖会社が建設したものですので、糖鉄ともいいます。製糖業者以外は、台湾の製塩会社もありますが、今もう存在していません。
石炭の開発業者も五分仔火車を利用していますが、それは各会社独立のシステムですので、そんなに有名ではありません。

終戦時の台湾全土の糖鉄の総延長は約3000キロ以上がありました。そして、各路線はほとんど直通してましたので、台湾の台中から、台湾一番南の屏東まで行けました。当時の製糖産業に大きな貢献をしていたと共に、路線によって旅客運送のサービスも提供していましたから、台湾、特に台湾の中南部の人々の重要な交通手段となっていました。
1970年代から、道路の建設の完備と台湾の製糖産業の低迷と同時に、糖鉄が続々と廃線となり、糖鉄の旅客運送は1982年で終了しました。今の糖鉄はほとんど廃棄状態となっています。

現在、台湾の中南部の四十歳以上の人は、五分仔火車で通学する思い出がある人がかなり多いのですが、糖鉄の旅客運送は1982年で終了と同時に、糖鉄を乗ることが不可能となってしまいました。

2001年から、終戦前の大日本製糖株式会社が建設したの南台湾の台南県の烏樹林(オ.チュウ.ナー、台湾語)糖場が、昔の糖鉄の施設を利用して、観光用の五分仔火車の運行が再開としました。
その後、2004年に同じ台南県の新営糖場の観光五分仔火車の運行も始めまりました。もちろん、たくさんの人気が出ています。

興味がある人は、是非、乗ってみたらいかがでしょうか?

PR
COMMENT FORM
NAME
URL
MAIL
PASS
TITLE
COMMENT
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
忍者ブログ [PR]
"No Name Ninja" WROTE ALL ARTICLES.
PRODUCED BY SHINOBI.JP @ SAMURAI FACTORY INC.