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台湾をはじめ、中国、韓国から現地の旬の情報や身近な話題をお届けします。
台北市内の夜景
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『日本にはない果物』

まず、台湾の一番有名な果物といえば、バナナでしょう。台湾のバナナは本当に安くで美味しいですよね!
子供のとき、家の経済環境があまり良くなかったので、よく食べる果物はバナナでした。今も、現地の価格は一キロ当たりは約30元(約100円)位です。同じ金額で缶コーラが2本買えます。でも、輸出のバナナだと、この3倍以上の値段となります。
バナナの木は高くなく、大体2~3メートル位です。成長は早いのですが、台風に弱いです。

次のWEBでたくさんの写真が見えます。
http://www.chi-san-chi.com/6career/banana/banakinds/banatree.html

バナナ以外で、私の日本の友人が大好きの果物は楊桃(ヤン.タウ)です。
楊桃は黄色い果物ですが、横に切ると星のような形をしていますので、英語ではスターフルーツといいます。
冬の果物ですが、ちょっと塩をかけて乾燥してから、夏に水で煮て、冷やして食べるのも、かなり人気がありますし、喉の痛みにもかなり効果があります。

ここには写真があります。
http://www.medicalvillage.org.tw/vfruit/vf188.htm

台湾で一番高い果物は、毎年の12月から6月が出ている蓮霧(レン.ブ、台湾語)ではないでしょうか。蓮霧は白、ピンクと赤などの数種類があります。
その中に黒いダイヤモンドという濃い赤い色の蓮霧は一キロ(約三つぐらい)三千元(約一万円)以上の値段になったことがあります。

普通の蓮霧はの五十倍以上の値段です。ここには写真があります。
http://www.lxp.ks.edu.tw/product/lanhu1.htm

これは超高いの黒いダイヤモンド蓮霧。これは白い蓮霧です。
http://www.chi-san-chi.com/6career/farm_product/lien_wu/

今度台湾へ来ましたら、試してみたらいかがでしょう。
 

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『平渓線』

先週の話しの続きです。

台湾で現在も運行中の支線の中で、旅客が一番多いのは、台北市の東北にある平渓線ではないでしょうか?

平渓線は台北から台湾の東部地方へ行くのに重要な幹線の宜蘭線から分岐する支線です。
最初は現地の石炭開発専門会社である台陽鉱業株式会社が1919年建設し始めて、1921年7月に全線開通した石炭運送専用線でした。その後、1929年に当時の総督府の鉄道部が購入し、旅客運送のサービスの提供を始めました。
終戦後、鉄道部が所属する財産は全部台湾鉄路管理局(台鉄や鉄路局とも言い、日本の昔の国鉄相当します。)へ移管して、今の平渓線となりました。

しかし、この鉄道には実はもうひとつの説があります。
それは台湾鉄路管理局が1987年に出版したの台湾鉄道百年記念という記念出版物の中には、平渓線は1952年に台湾鉄路管理局が一千五百万元(台湾の通貨)で買収して国有となりましたと書いてあります。

どちらにしても、この辺の資料は要調査です。もし、ご存知の人がいましたら教えてくださいね。

平渓線は現存する支線の中に一番古い歴史を持つ路線ですが、12.9キロしかないので、一番短い路線でもあります。
しかし、平渓線の沿線は、90年代までは、主な石炭の産地となっていましたので、大昔からの石炭開発の遺跡が沢山残っていますし、沿線の風景も一番きれいと言われています。
観光客も、支線の中に一番多いです。
特に、毎年の旧暦の1月15日の夜に、台湾の最も有名の祭りの南蜂砲北天灯の天灯は、この支線の十分駅と平渓駅にて行っていますので、普段は静かな山道に数万人の観光客が殺到します。

このような人々の念願を書いた天灯が、柔らかに光を照れながら、夜の空へ浮かべていく場面は、日本の初詣のような感動がします。

来年のこの天灯祭りに、あなたも参加してみませんか?

平渓線(日本語)
http://www.czstyle.com/tokyo_dialy/pinhsi/index.asp
平渓線(中国語)
http://www.nkps.tp.edu.tw/00075/country/train/ps-line.htm
天灯(中国語)
http://www.kenphoto.net/gallery/new_add/2005sli/

 『内湾線』

GWの連休にはどこか旅行に行きましたか?今週は、台湾現存する旅客を提供している支線の中で一番新しい内湾線を紹介しましょう。

内湾線のはじまりは、内湾地域で採った木材や竹を新竹方面へ運送するために、木馬という人力、つまり、人間の力で引っ張る木製の台車の道でした。
このような運送手段の効率はもちろんよくありません。戦争の末期に、当時の台湾総督府は内湾に沢山栽培している竹と木を、もっと効率的に運送するために、終戦前から建築し始めたのです。しかし、終戦前の建設用材料の不足で、一時停止しました。
そして、終戦後の1947年、中華民国の台湾省政府は、新竹から竹東まで16.6キロの路線を完成させました。この時期の内湾線は竹東までしかないので、内湾線ではなく、竹東線と名づけていました。
そして、もっと山奥のセメントと石炭を運送するために、1951年九月に新竹から内湾までの27.9キロの内湾線全線開通しました。

内湾線の沿線風景は、集集線ほど豊かではないですが、途中の田園風景と終点の内湾辺りの山と油羅渓の風景はかなり人気を集めています。台湾へ出張するときに、もし新竹行くチャンスがありましたら、行った見たらいかがでしょうか。

↓内湾線(日本語)
http://www1.cts.ne.jp/~k-bahn/page038.html
↓内湾線(中国語)
http://home.pchome.com.tw/life/nangang_station/naiwan.htm

☆★揺頭丸と揺頭族 


「揺頭丸」(ャウ.トウ.ウァン)とは、最近台湾で氾濫している非合法薬品のことで、「揺頭族」(ャウ.トウ.ズウ)とはそれを乱用する人のことです。
「揺頭丸」は日本でいうエクスタシー、またはMDMAです。この薬を飲むと、興奮し頭の揺れが止まらないので「揺頭丸」と名付けられました。揺頭丸はコーラで飲むと、さらに刺激が強くなります。その状態でカラオケやクラブやなんかで、激しい音楽で踊りまくるというのがお決まりのようです。但し、揺頭丸を長期間服用続けると、記憶力が低下し、脳の血管に悪影響を及ぼすという副作用があり、脳卒中を起こし命を落とすというような事件も起こっています。
台湾では覚醒剤と同じように厳しい取締が行なわれ、警察は毎日揺頭丸の販売や乱用を検挙していますが、汚染は広がっています。

台湾でかなり人気のある香港出身の男性歌手が、これまた人気急上昇中の台湾出身新人女優とカラオケで揺頭丸を服用した疑いで逮捕されました。二人とも容疑を否認していますが、尿検査の結果、揺頭丸が検出されました。この事実を突き付けられ、女優側は自分の意志で飲んだのではなく、誰かが彼女の飲み物に混入し、知らない間に飲まされた、と主張しました。事実関係のほどは如何なものか。

皆さんも安全の為に、薬物を買ったり、もらったりしない事はもちろん、飲み物にも十分注意して下さい。

それではまた来週。

『五分仔火車の旅』

五分仔火車というのはなんでしょうか。

まず火車(ヘ.チャ)は台湾語の汽車のことです。汽車と言うのは蒸気で駆動する車の意味で、火車は火で駆動する車の意味です。
五分仔(ゴ.フン.ア)は台湾語で、約半分ぐらい小さくなっているという意味です。合わせると五分仔火車(ゴ.フン.ア.ヘ.チャ)は、普通の鉄道の半分ぐらい小さい汽車のことです。
軌道の距離は標準の1435mmと比べて、762mmの狭い物ですので、五分仔火車と名付けています。

台湾の五分仔火車の鉄道は、ほとんど終戦前の台湾の製糖会社が建設したものですので、糖鉄ともいいます。製糖業者以外は、台湾の製塩会社もありますが、今もう存在していません。
石炭の開発業者も五分仔火車を利用していますが、それは各会社独立のシステムですので、そんなに有名ではありません。

終戦時の台湾全土の糖鉄の総延長は約3000キロ以上がありました。そして、各路線はほとんど直通してましたので、台湾の台中から、台湾一番南の屏東まで行けました。当時の製糖産業に大きな貢献をしていたと共に、路線によって旅客運送のサービスも提供していましたから、台湾、特に台湾の中南部の人々の重要な交通手段となっていました。
1970年代から、道路の建設の完備と台湾の製糖産業の低迷と同時に、糖鉄が続々と廃線となり、糖鉄の旅客運送は1982年で終了しました。今の糖鉄はほとんど廃棄状態となっています。

現在、台湾の中南部の四十歳以上の人は、五分仔火車で通学する思い出がある人がかなり多いのですが、糖鉄の旅客運送は1982年で終了と同時に、糖鉄を乗ることが不可能となってしまいました。

2001年から、終戦前の大日本製糖株式会社が建設したの南台湾の台南県の烏樹林(オ.チュウ.ナー、台湾語)糖場が、昔の糖鉄の施設を利用して、観光用の五分仔火車の運行が再開としました。
その後、2004年に同じ台南県の新営糖場の観光五分仔火車の運行も始めまりました。もちろん、たくさんの人気が出ています。

興味がある人は、是非、乗ってみたらいかがでしょうか?

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