忍者ブログ
台湾をはじめ、中国、韓国から現地の旬の情報や身近な話題をお届けします。
台北市内の夜景
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

☆★老外、阿凸仔と阿本仔

中国では自分より年を取っている男性に対して、名字の前に「老」を付けて呼ぶ習慣があります。例えば、「張」さんだったら、「老張」と呼びます。逆に自分より年下の男性に対しては名字の前に「小」を付けて呼びます。「張」さんだったら「小張」です。
この呼び方に軽蔑の意味は全くなく、仲間としてみられているような感じです。老外(ラウ.ウァイ)というのは台湾に住んでいる外国人、特にアジア系ではない人のことです。

老外は中国語ですが、台湾語には、自分と仲の良い人の名前にある一文字をとって、この字の前に「阿」をつけ、後ろに「仔」を付けて呼ぶ習慣があります。
例えば「李登輝」さんの場合、「阿輝仔」といいます。また、台湾に住んでいるアジア系でない外国人を「阿凸仔(ア.ド.ア)」と呼びます。この呼び方には歴史があります。3、40年前、台湾に住んでいる外国人といえば、アメリカ人が殆どでした。台湾語で、鼻が高い人を凸鼻阿(ド.ピ.ア)といいますが、西洋人の鼻は中国人よりも高いので、アジア系ではない外国人を阿凸仔(ア.ド.ア)と呼びます。

ところで、外国人である日本人はあまり「老外」とは呼ばれません。日本人もそんなに鼻は高くないので、「阿凸仔」と呼ぶのもなんですから、阿本仔(ア.ブン.ア)と呼びます。「あなた、日本人?」と呼ばれるより、「あなた阿本仔(ア.ブン.ア)?」と呼ばれるのは如何でしょうか。なんとなく親しくなった感じがしませんか?

それではまた!

PR

 『台湾の住所』

日本に住んでいた時に一番困ったことは住所から場所を探すことでした。日本の住所は町、丁目、番地の順で決まっていますが、問題はその何丁目や何番地の順番があまりに分かりにくく、いつも交番でおまわりさんに助けてもら
っていました。
台湾の住所の法則は2種類あります。今週はメジャーなケースから紹介しましょう。

日本と違って、台湾では全ての道に名前が付けられているので、住所は道路の名前がわかれば大体見当がつきます。通常、大きな道路は「○○路(ル)」と名付けられます。台湾で一番多い道路の名前は「中正路」と「中山路」です。「路」がかなり長いようであれば、その次に「段(ドァン)」を付けます。
例えば日本人が多く住んでいる「中山北路」は一段から七段まであります。都市によりこれは多少異なり、南の大都市・高雄市では「段」ではなく、一路、二路の順番になります。例を挙げると、高雄駅前の道路は「中山一路」、しばらく進むと「中山二路」になります。

それほど主要でない道路ならば「○○街(ゼ)」と名付けます。
台北市にある日本交流協会の住所は慶城街にあります。住所の番号は道路の起点から、片側が奇数、反対側が偶数の順で並んでいます。例えば、「中正路」の片側にある一軒目は「中正路一号」、その対面は「中正路二号」になります。

道路と道路の間ににある細道は「巷(シャン」になりますが、殆ど名前はつきません。この「巷」の規則はちょっと例外で、中正路の11号の隣に巷があれば、13巷となり、巷をわたった隣道路は15号になります。
「巷」の番号も「路」のように、片側が奇数、対面が偶数の順番で並んでいます。巷と巷の間にある行き止まりになるような細い道は「弄(ノン)」となります。

「弄」は「巷」と同じ法則です。例えば中正路13巷の14号と18号の間に細道があると、中正路13巷の16弄になります。弄沿いにある住所も片側が奇数、対面が偶数での順序で並んでいます。こういうシステムであれば、住所を探す際に道路を見つけて、番号にそって歩いてゆけば問題なく見つかるでしょ。

今週紹介した路、街、巷、弄と号のシステムは分かりやすく、住所から簡単に場所を特定できますが、都市再開発によって、一つの「号」の土地に2軒の家が並ぶこともよくあります。この場合、「号」の後に「之一」、「之二」と番号が付けられます。反対に複数の「号」にまたがってマンションなどの集合住宅が建てられた場合は、「号」を一つ選んで住所にされます。

これまで紹介した法則は標準的な住所の付け方なのですが、田舎、特に山奥などに行くと例外があります。このようなところは住居が道路から離れていますので、道路名で住所を決めるのが難しくなることがあり、日本のように行政地域内で住所が決められます。

☆★帯魁公と牛肉

私は牛肉麺が大好きです。今週はもう3回も食べました。でも実は4回目を食べようと思ったのですが、一緒にいた友人が、牛肉を食べてはいけない「帯魁公(ダイ.クェ.ゴン、台湾語)」だったので、彼に付き合い食べませんでした。

「魁公」といのは鐘魁様の別名です。
古くから伝わる伝説によると、鐘魁様は中国唐の時代に「科擧」という国家公務員の試験を受け、見事学科に合格しました。ところが、当時の皇帝は鐘魁様の顔が醜い、という理由から面接で落としてしまいました。鐘魁様はこの不公平な待遇に憤り、皇帝の目の前で自害したのです。

なんとも不幸な鐘魁様ですが、その後鐘魁様の魂が唐太宗の夢に現れました。夢の中で唐太宗は悪い鬼に追われ、絶対絶命のピンチ!となったところに鐘魁様が鬼を食べ、唐太宗を助けました。そして、唐太宗から「鬼の王様」と称号を与えられ、悪い鬼を食べて世の中の平和を守るという神様になりました。

また古くからの言い伝えにより、ある特定の日と時間に生まれた人は「帯魁公」、つまり鐘魁様の弟子にあたるとされ、鬼は帯魁公には近づくことができず、悪戯することができません。但し帯魁公が牛肉と犬を食べてしまうと、この特権がなくなってしまうとされているので食べてはいけません。

でも牛肉を食べない人がみんな帯魁公ということではないですよ。昔、牛が農業において重要な動力源で、一生懸命働いてくれました。なので農村出身の方では「牛を殺して食べるのは忍びない」と食べない人が多いです。

ですから台湾の人と食事をするとき、牛肉を食べないからと無理やり勧めたりしないほうがよいですよ。

それではまた

☆★ビニール袋減量政策 

台湾西部のある海岸で数年前のことですが、イルカの胃袋からたくさんのビニール袋が見つかりました。これをきっかけに政府は「ビニール袋使用量を減らしましょう」と呼びかけてきました。
その後この呼びかけが法律となり、政府機関と国営企業からビニール袋の無料配布が禁止となりました。そして4ヶ月後、「ビニール袋減量政策」が本格的に始動しました。これにより、スーパーマーケット、コンビニエンスストアー、デパートなどでビニール袋の無料配布が禁止されました。

この政策は人々の生活にも大きな影響を及ぼしています。以前までは買い物をすれば、当然のようにビニール袋が付いてきますから、手ぶらで買い物に行けました。ところが今年からは、買い物に行くならば、必ず袋を持参しなければならず、さもなければ、どうやって買ったものを持って帰ればいいの?!といった具合で大変不便です。
しかし万が一、どうしても袋が必要な場合、有料のビニール袋を購入できますので、買ったものを持ち帰れない、ということはありません。このビニール袋は再利用できる、普通のものより厚いビニール袋です。しかし、環境の為にもやはり買い物の際には袋を持っていくほうがよいでしょう。

この政策のお陰で、日常生活に不便を感じている人も多く、今でも反対の声は上がっています。ですが、環境保護の立場から、賛成する人も多いので、皆さんが台湾にいらっしゃるときには、是非ご協力戴きたいと思います。


☆★『台湾生ビール』    


ビール愛飲家の人が、「ビールを飲むならやっぱり地ビールが一番うまいよ」と言っていました。
というのも、輸入ビールは少なくとも生産されてから1ヶ月以上のもので、ワインなどと違って鮮度が命のビールとしては、これはもう古すぎます。
日本に今でもあるかわかりませんが、10年程前、麒麟麦酒社より「ビール工場」というビールが発売されました。あの時は、「ビール工場」を店頭で予約し、メーカーより生産されてから10日以内のビールが店頭経由で消費者に届けられました。「ビール工場」の名前の由来は、「工場と同じ新鮮な生ビールが飲める」とのフレーズで名付けられ、一時かなり人気を博しました。

実はこのようなビールが台湾にもあります。その名も「台湾生ビール」。
国産の瓶ビールは主に2種類あり、一つは黄色のラベルに緑文字が印刷された台湾ビールです。これは一番普及しており、歴史も長い国産ビールですが、生ビールではありません。出荷前に熱処理されています。
もう一種類は緑の瓶に白抜きの印刷がされた台湾ビールで、工場で生産されてからすぐに出荷され、瓶の栓には生産年月日が記入されています。生産されてから11日目になると、販売者が責任を持って回収し、販売されてはいけないことになっています。つまり、消費者の手には必ず生産から10日以内のものしか渡らないのです。そりゃ鮮度は抜群です。このビール、通常のビールより倍の値段ですが、発売してからビールファンの人気を集めています。

暑い台湾で飲むビールはそりゃ格別です。是非一度お試し下さい。
参考までに、下記に台湾生ビールの写真を掲載します。見てみてくださいね。

それではまた。

忍者ブログ [PR]
"No Name Ninja" WROTE ALL ARTICLES.
PRODUCED BY SHINOBI.JP @ SAMURAI FACTORY INC.